環境が“恋の合図”を変える
~ 分裂酵母で見えたフェロモン進化の新しい仕組み ~
国立大学法人九州工業大学大学院情報工学研究院の清家泰介准教授は、国立研究開発法人理化学研究所生命機能科学研究センターの古澤力チームディレクターらとの共同研究により、分裂酵母*1が交配相手を探す際のシグナル、いわば“恋の合図”である「性フェロモン*2」の働きが、周囲の環境によって変化することを解明しました。さらに、うまく働けなくなる“合図”も別の変異がその機能低下を補うことで、交配を成功させて次世代を残し、そして進化の可能性を広げていることを明らかにしました。
本研究では、分裂酵母 Schizosaccharomyces pombe の性フェロモンに着目し、153種類のフェロモン変異体を用いてその機能を定量的に解析しました。その結果、通常の条件では十分に働かない一部のフェロモン変異体が、環境条件、特にpHの違いにより活性化されることを見いだしました。さらに、別の変異との組み合わせがその機能を補い、フェロモンが機能を保ったまま多様化しうる可能性も示されました。これらの成果は、短いペプチドシグナル分子*3がどのように進化するのかを理解するうえで、新しい視点を与えるものです。今後、細胞間コミュニケーションの進化原理の解明につながることが期待されます。
発表のポイント
- 環境によって“恋の合図”の効き方が変わることを発見
分裂酵母の性フェロモンは、配列だけでなく、周囲の環境条件によってもその働きが変化することを明らかにしました。 - 失われたように見える機能が、別の変異によって補われることを解明
一部の変異は単独では機能を弱めますが、別の変異が加わることでその影響が緩和される「進化的バッファリング*4」の仕組みを示しました。 - シグナル分子の進化に新たな見方を提示
環境条件と変異の組み合わせによって、機能を保ちながら多様化する進化経路が存在しうることを明らかにしました。
生物は、異性を見つけたり、細胞同士で情報をやり取りしたりするために、さまざまな化学シグナルを利用しています。分裂酵母におけるその代表例がいわば“恋の合図”として機能する「性フェロモン」と呼ばれるペプチドであり、交配相手を認識するうえで欠かせない分子です。
これまで、フェロモンと受容体の関係は高い特異性を持ちながらも、ある程度の変異を許容する柔軟さを備えていることが知られていました。しかし、どのような変異が許容され、どのような条件のもとで機能が保たれるのかについては、十分には分かっていませんでした。
今回、研究グループは分裂酵母の「性フェロモン」のわずかな違いが、どのような働きに影響するかを調べました。具体的には、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeの性フェロモンM-factor(9アミノ酸からなるペプチド)に着目しました。研究グループは、M-factorの8か所のアミノ酸残基について、考えうるすべての1アミノ酸置換を導入した152種類のフェロモン変異体ライブラリーを用い、野生型株と合わせて153種類の集団を交配と胞子発芽を繰り返す競争実験を行いました。さらに、培地の種類、pH、温度などの環境条件を変化させながら、各フェロモン変異体がどの条件で有利または不利になるのかを網羅的に比較しました (図1)。
図1. 性フェロモンが多様化しうる環境条件の探索
その結果、通常の実験条件では機能が低く見える一部のフェロモン変異体が環境条件を変えることで活性を示すことが分かりました。特に、P6H変異体(フェロモンの6番目のPro残基がHis残基に置換されたもの)は標準的な条件であるpH5.5では交配できない一方で、pH7.0では交配機能が大きく回復し、受容体活性化も上昇しました (図2)。これは、性フェロモンの機能がアミノ酸配列そのものだけでなく、周囲の環境に強く依存して決まることを示しています。すなわち、ある環境では不利な変異が、環境によっては有効なシグナルとして機能することが明らかになりました。
図2. 特定のフェロモン変異体が環境依存的に機能を回復することを発見
さらに本研究では、変異同士の組み合わせがフェロモン進化に重要な役割を果たすことも示されました。近縁種Schizosaccharomyces octosporusが分泌するM-factor配列の違いに着目して解析したところ、T2Q(フェロモンの2番目のThr残基がGln残基に置換されたもの)という変異は単独でも性フェロモンの性質を変えるだけでなく、他の有害な変異による機能低下を部分的に補う働きを持つことが分かりました。このように、ある変異が別の変異の不利な影響を和らげる現象は「進化的バッファリング」と呼ばれ、通常であれば失われてしまう変化が進化の中に保持される余地を生み出します。
また、T2Q変異には別の側面も見いだされました。この変異は交配に有利に働く一方で、通常の増殖条件では不利になる傾向を示しました。つまり、同じ変異が環境によって利益にも不利益にもなりうる「トレードオフ」が存在することが分かりました。これにより、性フェロモンの進化は単純に「機能するか、しないか」だけでは決まらず、環境条件、生活環のどの段階にいるか、さらに他の変異との組み合わせといった複数の要因によって形作られることが示されました (図3)。
図3. 増殖と交配のトレードオフがフェロモンの多様化を促進する可能性
本研究の成果は、短いペプチドシグナル分子の進化が、単なる機能喪失や機能維持の二者択一ではなく、環境依存的な活性化と変異間相互作用によって支えられていることを示した点にあります。これは酵母に限らず、生物がどのように細胞間コミュニケーションの仕組みを進化させてきたのかを理解するうえで重要な知見です。今後、他のフェロモン系や他の生物種にもこの考え方を広げることで、生命に共通するシグナル進化の原理の理解がさらに進むことが期待されます。また、こうした知見は将来的に、有用微生物の交配制御や、合成生物学における細胞間通信系の設計にもつながる可能性があります。
なお、この研究成果は、英国科学雑誌「Communications Biology」(2026年4月21日)に掲載されます。
※ 本研究は科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 さきがけ(JPMJPR24N9)および日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 科研費(JP19K16197 and JP20H04790)の助成を受けたものです。
■ 用語解説
*1 分裂酵母:
細胞分裂や交配の仕組みを調べるモデル生物として広く用いられている酵母。学名は Schizosaccharomyces pombe。
*2 性フェロモン:
異性の細胞に情報を伝え、交配行動を引き起こすために分泌される化学物質。
*3 ペプチドシグナル分子:
短いアミノ酸配列からなる情報伝達分子。多くの生物で、細胞同士の情報のやり取りに用いられる。
*4 進化的バッファリング:
ある変異による機能低下が、別の変異や環境条件によって和らげられる現象。進化の過程で新しい変化が蓄積する余地を生みうる。
■ 論文の情報
| タイトル | “Context-dependent activation and evolutionary buffering of a mating pheromone in fission yeast” |
| 著者名 | Taisuke Seike, Natsue Sakata, Hazuki Kotani & Chikara Furusawa |
| 雑 誌 | Communications Biology |
| D O I | 10.1038/s42003-026-10058-6. |
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