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百周年中村記念館

本学の創立100周年を迎えるにあたり、本学の卒業生である中村孝氏より「母校創立の精神と、明専~九州工大と連なる輝かしい伝統に想いを馳せ、100年の歩みを伝えるような記念館を、創っていただくようお願いいたします」との書信とともにご寄附を頂いたことに端を発し、記念館の建設を企画いたしました。母校の永続を願った中村氏の想いを継承し、在学生・卒業生だけでなく、企業や地域の皆様も利用できる本学の新しいシンボルとして、平成25年3月に開館いたしました。

コンセプト

  • 卒業生、明専委員会、教職員、他機関研究者、企業関係者、一般の方々の有機的な交流をもたらす施設
  • 本学の伝統を過去から未来へ持続的に継承・発展できる施設として、機能的にも美観的にも本学のシンボルとなる格調のある施設
  • 大学における多種多様な活動を許容する機能と設備を持ち、将来的な利用の変化にも対応できる柔軟性の高い先駆的な施設
  • 利用者の誰もが安心・安全・快適に利用できるユニバーサルデザインを採用した施設
  • 省エネルギー、自然エネルギーの活用など、建設・運営・廃棄に至るまでのライフサイクルを通じた環境負荷の低減

建物概要

建物名百周年中村記念館
所在地戸畑キャンパス内
(福岡県北九州市戸畑区仙水町1-1)
面積建築面積 1,022.41㎡
延床面積 1,447.78㎡
構造鉄骨造 2階建て


開館日・開館時間


平日 8:00~20:00
(都合により、変更する場合があります。)
※カフェレストランは、営業日・営業時間が異なります。
開館日、開館時間内は、一般の方も入館できます。

主な施設


多目的ホール:294㎡、定員:150人


主に、大学行事、大学主催イベントを開催します。本学が利用していない日は、一般の方も利用できます(有料・1か月前までに申請)


特別会議室:96㎡、定員:50人


本学が利用していない日は、会議室として一般の方も利用できます(有料・1か月日前までに申請)。


中村ギャラリー


本記念館設立のためご寄附をいただいた、中村 孝 工学博士の業績を展示し、一般公開しています。



藤田ギャラリー


本学の卒業生であり、竜巻研究の世界的権威である気象学者 藤田哲也 理学博士の研究に関する資料等を展示し、一般公開しています。



カフェレストラン「カフェ ド ルージュブラン」


カフェレストラン営業日は、一般の方も利用できます。
2023年4月より、下記のとおり当面、月・水・金曜日のランチタイムのみの営業とさせていただきます。

営業時間【月・水・金曜日】ランチタイム 11:00~15:00 (オーダーストップ14:30)
※ディナータイムは当面お休み
【火・木・土・日曜日】お休み 【祝日】不定休
座席数店内:36席 テラス:32席
お問い合わせTEL 090-7366-6389

※営業日・営業時間は変更する場合があります。



施設の貸し出し


多目的ホール、特別会議室は、本学の会議・イベント等で利用していない日に一般の方へ貸し出しが可能です(有料・1か月前までに申請)。
貸し出しを希望される場合は、下記までお問い合わせください。

百周年中村記念館 施設貸し出し窓口

九州工業大学 経理課 管理係

TEL:093-884-3031
E-mail:ac-kanri*jimu.kyutech.ac.jp
(メールは*を@に変えてお送りください)


寄附者


中村 孝 氏(1917-2009)

(明治専門学校(現・九州工業大学) 昭和15年 電気工学科卒)

■プロフィール


1917年(大正6年)山口県徳山市(現・周南市)で生まれる。1940年(昭和15年)明治専門学校を卒業後、三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所に入社し、1950年(昭和25年)に抵抗溶接機の総合メ-カである株式会社 電元社製作所に移り、取締役技術部長、常務取締役、専務取締役、代表取締役を歴任し、1945年(昭和20年)には、フタバ産業株式会社設立にも参加した。その間、終始抵抗溶接技術の研究と溶接機器の開発に携わり、中でも製鉄向けの高度な溶接装置の開発に着手、広幅ストリップ用全自動フラッシュ溶接機をはじめ、一連のストリップ接続用装置を次々に完成させ、鉄鋼産業の発展に貢献した。1962年(昭和37年)、「点溶接における加圧力の実験的研究」で大阪大学から工学博士の学位を受ける。この年より明専会の理事に就任し、1978年(昭和53年)に副会長、1988年(昭和63年)に第3代明専会会長に就任、1996年(平成8年)まで4期8年間、会長として明専会の発展に尽力した。
中村 孝は戦後の造船など日本産業の再建に当たり、溶接が金属加工には不可欠の技術であることを先覚し、溶接技術の確立のための母体組織、社団法人日本溶接協会、財団法人日本溶接技術センター、摩擦圧接協会などの設立に奔走し、溶接技術向上、人材育成、工業標準確立の中心的役割を果した。
2009年(平成21年)、母校創立100周年の年に逝去。記念式典にはご親族の胸に抱かれた遺影でご出席した。母校をこよなく愛し、温厚篤実な人柄であり、溶接技術向上の先駆者としてその名を世に残した、まさに「技術に堪能なる士君子」であった。
*オーム賞、大河内記念技術賞、佐々木記念賞、嘉村記念賞、黄綬褒章、紺綬褒章、ほか


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